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シアトル近郊に住んでいる日系アメリカ人の従妹が、結婚記念日に旦那さんと豚カツを食べに行ったそうです。日本以外で食べた一番おいしくて本格的な豚カツだったとSNSで語っていました。デザートには blueberry cobbler を食べたとあり、はて cobbler とは何だろうと辞書で調べてみると、[cobbler: 靴屋、靴の修繕屋] と出てきました。「?」と思ってさらに調べてみると、[cobbler: (デザート) フルーツの上にビスケット生地を乗せて焼き上げたフルーツパイ]とありました。つまり、ブルーベリーパイを召し上がったということですね。ちなみに、クラッシュアイスを詰めたグラスにアルコール、砂糖、季節のフルーツなどを加えたカクテルのことも cobbler / コブラ―と呼ばれるそうです。
さて、今回のブログは、英語学習というテーマからは少しはずれた内容になりますが、私が長年違和感を抱いていることについてお話ししたいと思います。
それは何かと言うと、TVに登場する外国人が話す英語(またはその他の言語)の日本語への吹き替えについてです。例えば、バラエティ番組や旅先をレポートする番組などで、レポーターが街頭で道ゆく外国人にインタビューしたり、飲食店の人からコメントをもらったりするシーンがよくあるかと思います。私がどうしても違和感を覚えてしまうのは、外国人が話している内容を日本語に吹き替える際のスクリプトの内容です。
具体的に言うと、特に欧米系の外国人のコメントが、日本語の吹き替えではほとんどみな超カジュアルな話し言葉で表現されていることです。レポーターが話しかける相手が男性であれば、「これは〇〇なんだよ」、「〇〇なのさ」といった語り口だったり、ちょっとワイルドな雰囲気の若者だと、「これは〇〇なんだぜ!」などという表現にしたりしています。また、相手が女性であれば、「それって〇〇よ」、「○○だわ」という口調になっていたり、年配の女性であれば、「あなた、それはきっと○○だわよ」みたいな感じになっています。これは、一言で言うと脚色しすぎ、いや、それ以前にすごく不自然だと思うのです。
なぜスクリプトをこのような口調にしているのでしょうか?確かに、欧米人は、概して日本人よりも社交的で、誰とでもオープンで気さくに会話を楽しむカルチャーを持っています。加えて、『英語はカジュアルに話す言語』、『英語には敬語がない』などという通説があるため、そうしたイメージを乗せながら日本語のスクリプトを作成しているということかもしれません。しかし、英語には敬語がないという訳ではなく、日常会話の中にも丁寧な話し方やフォーマルな表現がたくさん存在しています。街中で突然、日本のTV番組のインタビューを受けた人たちが、そうした敬語表現を全く使わずに受け答えをしているとは個人的には到底思えません。それぞれの番組によって多少の差はあるものの、多くの場合、英語やその他の言語のイメージをやや短絡的に捉えてしまっているように感じずにはいられません。
『英語はカジュアルに話す』ものというイメージがあまり先行するのも考えものです。時おり、ビジネスの場で、顧客や上司に対して “Yeah.” や “You know,” といった表現を連発してしまう日本人を見かけますが、これも、『英語はカジュアルに』というイメージが定着した弊害のひとつではないかと思っています。少なくとも “Yeah. (うん)” はビジネスではNGですね。
前述の番組の話に戻りますが、おもしろいのは、フォーマルな服装の上品な老紳士や、美術館や博物館のスタッフなどが番組に登場すると、彼らの日本語スクリプトがとたんに『ですます調』になることです。さすがに美術館の制服を着たスタッフが「これは〇〇だぜ!」などという口調で喋るのは、誰が考えても不自然ということですね。
たとえラフな服装で街中を闊歩していたり、スケートボードに乗っていたりしても、初対面の相手に対して丁寧で綺麗な英語を話す若者たちは決して少なくありません。番組の制作意図もあるでしょうが、日本語訳のスクリプトには、ステレオタイプに脚色された言葉ではなく、インタビューに応じている人たちのありのままの個性がもっと反映されていてほしいと思うのは私だけでしょうか?
See you!