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あるニュース番組で、日本におけるウクライナ難民の人々への支援の現状が紹介されていました。言葉の壁を抱えながら生活支援や子供たちの教育支援をどのように進めていくべきかが番組のテーマとなっていましたが、そこで専門家が語った言葉がとても印象的でした。
「彼ら(ウクライナ人)は、日本のような経済大国が、英語がこれほど通じない国だとは思っていなかっただろうと思います」
このコメントに対して言い訳ができる日本人はいるでしょうか?たぶんいないでしょうね、はい。
さて、今回は、私がなぜ英語コーチをやっているかについて、この仕事を始めたきっかけも含め、改めてお話ししてみたいと思います。
まず、英語コーチを始めたきっかけの一つは、あの有名なTEDのサイトであるプレゼンテーションに出会ったことです。それは、バーチャルゲームを手掛けるクリエイターによるプレゼンでした。彼の仕事は、VRの技術を駆使した臨場感あふれるオンラインゲームの制作でした。彼は、ゲームクリエイターとしてのスキルを活かし、当時、仲間とともに準備を進めていた壮大なプロジェクトについて紹介しました。そのプロジェクトとは、今も地球の特定の場所で日常的にまたは断続的に起こっている内戦や武力紛争の犠牲者たちを救済する支援金を世界レベルで集めるための取り組みです。具体的には、実際に内戦や武力紛争が起こっている現場のリアル映像 ―― 例えば、自分の背後で突然、爆撃の轟音が鳴り響き、逃げる間もなく黒い煙に囲まれてしまう瞬間、家を焼かれ、戦火の炎の中を泣き叫びながら逃げ惑う子供たちの映像など―― をVRゴーグルに取り込み、それをさまざまな国際会議の場で、国家としての支援金拠出に発言力や影響力を持つ全世界の要人たちに視聴してもらうというものです。
私は、彼のプレゼンを聞いて大きな感銘を受けました。一人のゲームクリエイターが戦地で苦しむ人々の力になりたいという大きな志を持ったこと、そして、一人のゲームクリエイターが戦地で苦しむ人々を支援するための一助になり得るのだという事実にとても感動しました。それ以来、私も個人として何か社会貢献や公共の利益につながる仕事がしてみたいと強く思うようになり、「そのために私に何ができるだろう?」と考え始めたのです。
ちょうどそんな折、以前から時々チェックしていたメルマガの中に、たまたま英語コーチ養成講座なるものに関する情報がありました。私が英語コーチという言葉を目にしたのはこの時が初めてで、一体どんな仕事なのだろうかと興味を引かれ「参考までに!」という気持ちで講座の説明会に参加しました。正直あまり期待はしていなかったのですが、そこで知り得た英語コーチングというもの、それに基づく学習アプローチは、私にとってとても新鮮で、それまで私が抱いていた英語学習の概念とは全く異なるものでした。一言で言えば、よりシンプルで科学的、より合理的で効率的、より目的指向で結果重視の学習方法論です。それでいて、学習者それぞれの立場に丁寧に寄り添ったカスタムメイドの学習プランを提供できる素晴らしい手法だと感じました。このコーチングによる英語学習のアプローチを知ったとたん、私は、過去の自分がなぜ思うように英語のスキルアップができなかったのか、その理由が一気に理解できたように思います。
この手法であれば、色々な状況で英語に悩まされている人たちや英語のスキルアップを目指す人たちを確実にサポートできる、そして、そんな人たちに確実に結果をもたらすことができると、それまでに英語の職場で大いにもがき苦しんだ経験のある私自身が確信できたこと、それが、私が英語コーチという道を選んだ最大の理由です。英語学習者の多くは、スキルアップのために貴重な時間やお金を無駄に費やしていたり、意味のない回り道をしてばかりいるのです。使える英語を短期間で身に付けることにフォーカスした英語コーチングは、こうした問題を避けるための有効な手法です。この手法を一人でも多くの人に体験してもらい、一日も早く望む成果を手にしてもらいたいという強い思い。私には、それを実現していくことが、私にできる唯一の、そしてささやかな社会貢献かもしれないと思えたのです。
それにしても、この日本でヨーロッパ難民を受け入れる日が来るなんて、誰が予想できたでしょうか?この時代は、どんな想定外のできごとが起こってもおかしくないほどの不確実性に満ちています。しかも、グローバルレベルでの不確実性です。こんなことは考えたくもないのですが、私たちが万が一、今のウクライナの人たちと同じ境遇になり諸外国に避難するようになったとしたら・・・やはり、英語を話せないと不安ですね。言語の課題は、今や私たち日本人にとっても避けては通れない課題です。なぜなら、コミュニケーションは、人がさまざまな環境下で生きていくために欠かせない私たちの重要なツールだからです。もしかすると、こんな私の小さな社会貢献がこれまで以上の意味を持つ時代がやってきているのかもしれません。
あなたも英語を話すことで、いつか誰かを救うかもしれません。
See you!